理系Sの牝奴隷には言えない話
”御主人様”、vetのSMに関するいろんな話。
はじめに

 いらっしゃいませ、とでも書くべきだろうか。とにかく、あなたが見に来てくれたことは素直に嬉しい。ありがとう。

 このブログはSM、男女の主従関係に関することを主に取り上げて書いている。なので少しアブノーマルだ。だから、初めてこのブログを訪れた人は、右側の欄の”このブログについて”をまずは読んで、それに同意できた場合のみ、読み進めて欲しい。

 また、このブログ、少々ややこしい構成になっている。そのあたりも説明してあるので、それも理解してから読んでもらえればと思う。説明を読んで問題がなければ、二度目以降からは以下のエントリーを好きなように読んでもらえればそれでOK。

 AVや他の本格的なSM系サイトなどとは、多少違った視点からのSMの世界を知ってもらえれば、幸いだ。特に読者を指定するつもりはないが、御主人様を探しているM女などにはSMの実態を知るということで、参考になるのではないかと思うので、御主人様を選ぶ前に、SMの世界に飛び込む前に読んでもらえれば嬉しく思う。

 私への意見や質問、相談、その他の話などがある場合には、右側の欄の中段あたりにある”管理人、vet宛メール”のところのリンクから、メールフォームにいき、メールを送っていただければと思う。メールフォームは2つ用意してあるが、どちらから送ってくださっても構わない。また、各エントリーのコメント欄に書いてくださってもいいので、気軽に話しかけてくれればと思う。


※パソコン以外で見ていて、何故かここしか表示されずに困った方は、以下のボタンを。

 ▼スマホの場合▼
スマホ版へのボタン

 ▼携帯の場合▼
携帯版へのボタン

前回の続き。

続き物の話なのに、すごく、更新時間が空いてしまったが、ブログ再開後は、こんな感じで、書けるときに書くことにするので、気長にお付き合いいただければと思う。


今思えば、私が主従の雰囲気を作ったり、そこまでしなくとも、その立場を崩さずに、御主人様として、奴隷の前に居ることだけでも、

奴隷にとっては、大きな刺激になるということに、すごく時間をかけて、ではあったが、気がついた。

といっても、それはおそらく、私の奴隷がそうだったということなのだと思う。

主従関係よりも、SMプレイを重視して、誰かの奴隷になったM女も、いると思うから、御主人様という立場で、存在するだけではなく、SMプレイをしないと、と思うのは当然だ。

だから、これは、少なくとも、私と私の奴隷の間では、という前提での話。

他のM女もそうだとは言わない。

だから、誰かと主従関係になるときに、”主従”という状況になることが嬉しいというか、御主人様という、絶対的な存在に支配されていること自体が嬉しいのか、

それとも、SMプレイという具体的な行為が嬉しいのか?

どちらと決める必要もないとは思うし、重視する比率や、実際にそうなってみないとわからないところもあると思うが、自分の大まかな希望くらいは、わかっていたほうがいいのかなと思う。

奴隷になろうとするM女が、それを見極められるのであれば、見極めてから、それにあった御主人様を選ぶほうが、失敗したと思うことは少ないだろうと私は思う。

まあ、これは理想論ではあるのだが。

御主人様の中にも、私のように、いつも主従であることを前提にし、主従関係があり、そして、その上でSMをするという人もいれば、

普段は主従的な感じをあまり持っていなくても、性行為は、SMを主体としたものを好むという人もいるし、

主従ではなく、恋人であることを望み、行為がたまたま、SMという人もいる。

そして、SM行為だけができればよくて、それ以外のときにはには、関わりを持たない、なんて人もいる。

それは、御主人様の個性なので、それと、奴隷になりたいM女の望みが、ちゃんと合っていることは、主従関係を続けていくことについても、重要な要素かなというのは、思う。

これは、イクことだけを考えて、御主人様を選ぶよりも、むしろ、イクことよりも、自分に合った関係を作り、M性を受け止めてくれる人を選ぶほうが、いいのかなとは、私は思う。

結果的に、希望が合わない人と主従関係を持ってしまうと、イクという意味でも、難しくなるのだと思う。

と、なんだか、また話がそれたのだが、私は、奴隷と主従の雰囲気で居ることだけでも、奴隷が興奮し、濡らすことがあるというか、奴隷が、そういう気持ちでいることができる状況が、重要なのだと、やっと気がついた。

簡単に言ってしまえば、御主人様が、御主人様らしくある(その人らしくある)ことで、奴隷は安心するし、そういう状態の御主人様から発せられるものは、安心して、刺激として受け止められる。

その刺激というのは、快楽調教の中で、性器や、性感帯と言われる場所を刺激することとは、違う種類の刺激なのだろうと思う。

主従という関係で、プレイ自体よりも、御主人様の存在に重きを置く奴隷なのであれば、あるほどに、その刺激は、大きくなる。

それが、そういうものなのだなと、おぼろげながらわかってきた時から、私はだんだんと、SM行為の中で、快楽調教的なことを、しなくなっていった。

もちろん、全然しなくなったわけではない。

奴隷を性処理にも使うし、気が向けば、道具で奴隷をいじって遊ぶ。

そういうことは、変わっていないのだが、その時の気持ちが、違ってきていた。

それは、奴隷をイカせようとか、ここで絶頂に導いてやらないといけないとか、そういう気持ちからではなく、ただ、そのときに、奴隷のよがり声を聞きたいなと思ったから、やるとか、

なんとなく、手持ち無沙汰だから触るとか、性欲が大きくなったから、それを解消するためにやるとか、そういうこと。

調教の間に、一度は、奴隷を、絶頂させなければならない。できれば、調教が終わる時に、絶頂に導いてやらないといけないという、ある種の脅迫的な思いが、段々と私の中で、薄れていった。

奴隷が、イクかどうか?というのは、奴隷が私から発せられるものを受け止めたときの反応だ。

イカせようと、頑張って空回りするよりは、イクかどうかは、とりあえず、考えずに、私が、奴隷にとって、好きにやっていると思えるような何かを発したほうが、

おそらく、奴隷は、それを刺激として受け取りやすいし、心配したり、不安になったりということもなく、身を任せられる。

そう思うようになっていった。

すると、前よりも、私は自由に、SM行為をするようになれた。

奴隷を絶頂に導くために、これをしないといけないという、義務のようなものが、減ったから。

主従になった最初の頃のことを、ブログに結構書いているが、私は、SM行為について調べながら、その時の知り合いの人に話を聞いたりしながら、覚えていった。

そんな中で、SMなのだから、このプレイをしないといけないと思いこんで、そうしないと奴隷のM性を満たせず、奴隷に嫌われていくのだろうと思って、していたことは多くあった。

そんな時期を過ごしたあとに、私が思うようになったことがこれだ。

私がしたいようにすればいい。

したいことを、すればいい。

そう思うようになったら、SM行為が、前以上に楽しくなった。

そして、私が楽しんでいること、満足していることは、奴隷も、敏感に感じ取っていたようだった。

これもやっぱり、私よりも、おそらくは正確に。

奴隷は、御主人様を、ちゃんと見ている。理解していると思う。

何個か前のエントリーでも書いたので、しつこいと思われるかもしれないが、本当に、奴隷は、私よりも、賢いのだと思っている。

だから、そんな奴隷が、私が楽しんでいること、満足していることを理解すると、結果として、奴隷の興奮度というのは、上がっていったように思う。

私が好きにしている、一緒にいて、快適に過ごしているのだと、奴隷が感じられると、それで、安心し、主従の雰囲気の中に、身を委ねることができるようになる。

雰囲気というのを無理に作ろうとしなくても、そこに、そういう場が、自然に出来上がっていた。

そこでは、奴隷は奴隷だったし、私は御主人様として、自然に居られた。

その場の主従の程度、というのは、それぞれの奴隷との間で、微妙に違うのだけれども、奴隷と二人で、良いところが見つかった時、それに自然に入っていくようになった。

私も、そして、おそらく奴隷も。

奴隷が本当にどう思っていたのか?はわからないけれど、奴隷が求めたもの、受け止めてほしいと思ったものは、その前よりも、少しは、返すことができたのかなと思う。

主従や、SMという、アブノーマルなことをしていて、世の中からは、不自然だ、歪んでいると思われていることだとしても、

当事者たちにとって、自然なことというのは、ちゃんとあるし、それが大切なのだなと思う。

私が、自然に御主人様であり、奴隷が自然に奴隷であり、そして、会えば、その瞬間に、主従の場ができ、その雰囲気の中に、自然に入る。

そこから、奴隷に、私からの刺激が入り始める。

話す声であったり、触れる手であったり、表情であったり、仕草であったり、そういうものからも。

そうなると、道具を通してでも伝わる。

そんな関係になってから、というか、私が、私の好きにできるようになってから、

無理にイカせなければと意識せず、奴隷がイクかどうかも、奴隷に任せようと思った後、奴隷は、その前よりも、イクことが多くなった。

一緒に過ごす時間にイクことは増えたし、その前後に、会っている間、電話などで話をしているときでも、イクこともあった。


私は、自分で自分のことはわからないのだが、私が無理をしないで、S性に素直に従っているときというのは、奴隷も、気がつく。

そして、そのときの私は、そうではないときよりも、S的に、また御主人様としての存在としても、強く見えるものなのだそうだ。

無理をしているように見えると、心配になる。でも、心配しなくていいと思えると安心して奴隷でいられる。というように表現していた奴隷も居た。

奴隷に、言われたことがあるから、書いてみたが、これについては、私が、自覚できたものではなく、私は、ただ、普通に過ごしているだけだから、なんとも不思議なのではあるが。

また、不思議、で終わるのは癪だけれども。


今回、奴隷の絶頂ということで、6回も、長々、書いてきたけれども、今の私が思うのは、御主人様が好きにしたらいいということ。

もちろん、好きにするといっても、奴隷の心身の健康を害するような無茶をすることでもないし、その奴隷の持っているM性で消化しきれない、本当に望まないことをすることとも違う。

奴隷が求めるものを受け止めてやることをやめることでもない。

むしろ、もっとちゃんと奴隷を知り、それを受け止めることは必要だ。

そこは、勘違いしてはいけない。

でも、こういう前提がを崩さないなら、好きにしたほうがいいと私は思う。

私は好きにするようになった。

自分にとっても、奴隷にとっても、それは良かったと思う。

無理して、何かをしなければ(絶頂させなければ)とあがいて、奴隷に、変な心配や、不安を与えるくらいなら、何もしないで、ただ、御主人様として、そこに居て、奴隷を見ていればいい。

気が向いたら、奴隷の好きなところをいじって遊べばいいし、理不尽な命令でもして、オロオロする奴隷を見て、笑っていればいい。

それだけでも、無理をするよりは、奴隷を絶頂させやすくなる。

私が焦っているのが伝わるのが、一番良くないのだろうと思う。

というよりも、焦ることなど、実は、何もなかった。

そして、焦ったら、それは奴隷のとても敏感なセンサーが、確実に察知する。

最初の頃の私は、奴隷をイカせようと焦っていた。

そのことを、奴隷に察知されていた。

そして、察知した奴隷というのは、なんとか、御主人様の意に沿うようにと、変な方向に頑張ってしまう。

御主人様がイカせようとしてくれているならば、イカなければと思ってしまう。

そうなると、イけなくなる。

人というのは不便なもので、男も女も、そういうふうにできている。

無理にしようと思って、焦ると、普通にできていたことでさえも、途端ににできなくなる。

だから、好きなようにすればいい。

奴隷がイクかイカないかは、そのときに、奴隷の中にある、私からの刺激が勝手に決めてくれる。

私が、「奴隷がイけばいいかもな」と、思うくらいはいいとしても、「奴隷をイカせなければ!」、と焦ることも、イカないと私が力不足だとか、そう思うことも、そもそも意味がない。

むしろ逆効果だ。

私は、やっとのことで、それに気がついたから、イかせるために、頑張ることは、しなくなった。

その日、その調教で、奴隷がイクか、イカないか、ということは、気にはなるけれども、それにこだわることをしなくなった。

私がしたいことを、したいようにする。

それで奴隷がイクならいいし、イカないなら、それもいい。私が楽しんだなら、それでいい。

そのほうが、結果的に、奴隷は絶頂しやすい。というよりも、私が意図しなくても、勝手に、絶頂していたりするから、それがまた楽しい。

そんなふうに、世界が、開けた気がするのだ。

ぐるぐると思考し、ものすごく、時間がかかったのだが。


だから、私には、奴隷をイかせるためのテクニックは、おそらくあまりない。

セオリーと、経験からの、なんとなく、こんな方法というのは、イカせようと頑張っていた頃に会得したものがそれなりにあるけれども、

それを使うことは、なくなっていったので、上手くはないと思う。

そのかわりに、私の主従では、私が奴隷を好きにするものなのだと、奴隷に納得させること。

そして、御主人様である私が、自由に、楽しんでいることを、奴隷がわかるようにしてやる。

ただひたすらに、好きなことをして、普通に過ごす。

こういうふうに思って奴隷に接することが、多分、私が奴隷をイかせるための、最も有効な方法と言えるかなと思う。

こう思えるまでに、私は、すごく時間がかかってしまったのだが、他の御主人様にとっては、最初からわかっている、当たり前のことなのかも知れないが。


今回の、話は、ものすごく長くなってしまったが、奴隷をイかせること、奴隷の絶頂について、私が思ってきたことの変遷を書いてみた。

書いている途中で、実は、もっといろいろな、横道の話を、入れてしまった。

それはかなりカットしているのだが、それでも、この量になっているところを考えると、すでに入れすぎだとも思うのだけれども、

書き足りなかった部分については、またの機会に書こうと思う。
















管理者にだけ表示を許可する

このブログについて

著者:vet

 ※このブログには、エロ動画やエロ画像、官能小説のようなものは一切無いが、内容が内容なので、SMや主従関係という、恋愛の形に不快感を覚える人、違う世界の話だと思う人などはすぐにブラウザを閉じて、このブログのことは忘れるように。

 以前に飼っていた牝奴隷とのことを書いているブログ。奴隷を手放した経緯とか、過去の奴隷の話、そのときの気持ち、奴隷への想い、今だから考えられること、言えること。書きたいことを書きたいままに綴る。
 また、今、これを書いている私の現状について、ご質問を頂くことが結構あるので、それについては、
 ◆私について
というカテゴリの中に、”現状の私”というエントリーにして書いておいた。このカテゴリには、私自身のこと(私の好みや、調教の方針など)をメインに書いているエントリーを入れてあるので、興味のある方がいるかどうかは分らないが、もしも気になるなら、見ていただければと思う。

 SM話はストイックになりがちなので、多少軽いタッチのコラムも交えて書いてみようと思う。奴隷を飼っていない今だから書ける御主人様の本音などをできるだけわかりやすく、そして正直に。今、奴隷になっている牝や、御主人様を探しているM女なんかには、御主人様の側の気持ちが少しは分かってもらえるかもしれない。ちなみに、私は理系的な思考傾向なので、考えすぎることが多く、そのために、なにやらややこしいことになることも多々ある。そのあたりも笑って読んでもらえれば、幸い。

 メールやコメントなども楽しみにしている。気軽な恋愛話、気楽なSM話から、SMや主従関係のこと、Mであることなどについての悩みや、相談、質問など、真面目なお話まで、どんなことでも、しっかり伺おうと思っている。恥ずかしいとか、こんなことを言っては変に思われるのではないか?とか、考えることもあるかも知れないが、私は、それなりに長くSMや主従関係の世界に居たので、それほど驚くことは無いと思うし、他人と変わっていることでも、変だとは思わないできちんと伺うつもりなので、メールやコメントは、遠慮せずに送ってくださればと思う。

 リンクフリーなので、気に入ったら、好きにリンクしてくださればと思う。言っていただければ、私からもリンクするので、そういう意味でも気軽に声をかけてもらえれば幸い。

 このブログは、私が奴隷と過ごした日々を時系列で綴った続き物の話と、SMに関するちょっとした小話や、SMに対する私の考えや体験、見聞きした面白い話題などを個々に書いた単発物のコラムとが混在している。

 続き物の話は、エントリーの題名に第何話という番号が書いてあり、以下のカテゴリにまとめてある。
 ●最初の奴隷
 ●二匹目の奴隷
 奴隷と私とのストーリーを読みたい場合にはこちらを読んでもらえればと思う。

 単発物のコラムは、以下のカテゴリにまとめてある。
 ●四方山話:1エントリーでひとつの話
 ●四方山話(続き物):複数エントリーでひとつの話
 短い話を気軽に読みたい場合にはこちらを読んでもらえればと思う。

 単発物のコラムの中でも、SMの技術的な話だけは別にしてある。それは、
 ●SM技術
にまとめておいた。技術的なことに興味のある場合には、こちらを読んでもらえればと思う。

 カテゴリの記事は古い順に並べてあるので、カテゴリ名をクリックしてもらえれば、続き物の記事でも最初から順番に読めるようになっている。


  当ブログ内に書くことは、私が実際にやってみたことや考えたことであって、それが正しいかどうかを完全に検証したわけではない。だから、もしも同じことを試す場合には自己責任で、細心の注意を払って実行して欲しいと思う。SMなので、体への損傷などの可能性もなくはないから。とにかく気をつけて欲しい。そして、このブログ内のことを試して、いかなる不利益が生じたとしても、私、vetは免責されることとする。そのことはしっかりと承知した上で読んでもらいたい。
 奴隷のためにも、そして御主人様のためにも、本当に無茶なことはしないで、幸せなSMを楽しんで欲しいと願っている。

最新記事
カテゴリ
管理人、vet宛メール

当ブログの管理人、vetへのメールは以下のリンク先のメールフォームから送っていただければと思う。2つあるが、どちらのメールフォームからでも、良いので、都合の良い方を使ってもらえればと思う。

メールフォーム1
メールフォーム2

月別アーカイブ
最新コメント
検索フォーム

RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード

QRコード