理系Sの牝奴隷には言えない話
”御主人様”、vetのSMに関するいろんな話。
はじめに

 いらっしゃいませ、とでも書くべきだろうか。とにかく、あなたが見に来てくれたことは素直に嬉しい。ありがとう。

 このブログはSM、男女の主従関係に関することを主に取り上げて書いている。なので少しアブノーマルだ。だから、初めてこのブログを訪れた人は、右側の欄の”このブログについて”をまずは読んで、それに同意できた場合のみ、読み進めて欲しい。

 また、このブログ、少々ややこしい構成になっている。そのあたりも説明してあるので、それも理解してから読んでもらえればと思う。説明を読んで問題がなければ、二度目以降からは以下のエントリーを好きなように読んでもらえればそれでOK。

 AVや他の本格的なSM系サイトなどとは、多少違った視点からのSMの世界を知ってもらえれば、幸いだ。特に読者を指定するつもりはないが、御主人様を探しているM女などにはSMの実態を知るということで、参考になるのではないかと思うので、御主人様を選ぶ前に、SMの世界に飛び込む前に読んでもらえれば嬉しく思う。

 私への意見や質問、相談、その他の話などがある場合には、右側の欄の中段あたりにある”管理人、vet宛メール”のところのリンクから、メールフォームにいき、メールを送っていただければと思う。メールフォームは2つ用意してあるが、どちらから送ってくださっても構わない。また、各エントリーのコメント欄に書いてくださってもいいので、気軽に話しかけてくれればと思う。


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調教の時など、奴隷とだけ過ごしているときと、外出時など、奴隷と一緒にいるけれども、周りに他の人がいるときで、奴隷への接し方、特に、私から、奴隷に対しての言葉が違う。

もう少し、細かく、躾や調教の時、性処理やSMプレイをしている時と、奴隷と二人ではあるけれども、部屋で食事をしていたり、ゆったり映画を見て過ごしているような時とでも、微妙に違う。

私自身は、変えたくないと思っているのだが、いつのまにか、変わっていたことがある。

また、変えないといけないのだろうなと思ったこともある。

これは、最初、かなり迷ったし、実際には手探りだった。

私は、「奴隷とは、常に主従」と、早いうちから思っていたものの、この”常に主従”を通せない時間というのも、奴隷と過ごす中には存在することが分かって、慌てた、というのが、一番正しい。

この、手探りだったころは、面白い。

今だから、あの頃を思い出して、面白い、などと苦笑できるけれど、当時は必死だった。


まず、調教の時間、SMをし、性処理に使ったりしているとき、については、悩むことはなかった。

その間は、しっかりと主従で、御主人様として、存在することを、躊躇しなくて良かったから、言葉も、御主人様として、奴隷に向けるもの、そのままだったし、初期のころは、御主人様らしくあることを、ものすごく意識していた。

意識しすぎて、色々とやらかした話は、ブログの中にたくさん出てくるけれど、とにかく、御主人様として、奴隷の前にいる、というだけで、特に何も変えなくて良かった。

ここは問題ない。

でも、問題はそれ以外の時間。

まずは、奴隷と一緒に外に出たとき。

私の中に、主従でいよう、御主人様らしくいよう、という気持ちがありつつも、ノーマルな世界と関わるときには、主従の世界を、不用意に、匂わせても、いけない。

こういう、すごく、中途半端な位置取りをしていた。

主従関係を持つときには、主従という、裏の世界と、普段の生活や仕事などの、表の世界、この表裏の線引きを、きちんとしなければという思いがあった。

裏の世界のことが、表の世界に知れてしまうと、最悪、表の世界が崩壊する。

表の世界なしに、裏の世界を存在させることは、個人の主従関係の場合には、無理なことだ。

それは、わかっていたから、奴隷にも、その線引きをしっかりするようにということは、言っていた。

だから、私自身も、その意識はちゃんと持っていた。

こういう意識があったから、だと思うのだが、表の世界の中を、奴隷と歩くとき、たまに、私は変なことになっていたのだろう。


電車に乗って、目の前に座る奴隷に話しかけるとき、

「○○(奴隷の苗字)さん」

と、呼んだことがあった。

また、混んでいる電車で、席が空いた時に、

「席、座ってください」

とか…。

仕事の相手に言うように、話しかけてしまったこともある。

外に出て、周りに、表の世界が広がっていて、その中にいると、私の中の、表裏切替機が、いつのまにか、表側になっていて、つい、言ってしまったものだ。

たまに出る言葉。

でも、奴隷にも、表裏切替機を持たせてある。

そして、奴隷のそれは、電車に一緒に乗ったとしても、私の前にいるときには、裏側になっている。

裏側といっても、周りに人がいることを想定した状態の裏側だ。

でも、裏側は裏側なので、奴隷は、奴隷。

だから、私のそんな言葉に、目を見張る。

「ど、どうなさったのですか?」

と、びっくりするくらいなら、まだいい。

私の一言だけで、不安になる奴隷もいた。

”苗字にさん付け”で、呼ばれるなんて、奴隷らしくない呼ばれ方。

御主人様の私から、奴隷に対しては、絶対に出ないはずの言葉。

「奴隷に、苗字なんてあるわけないだろ」と言って、名前しか呼ばなかったから。

奴隷にとっても、私が、苗字など呼ばないし、”さん”なんて付けないことが、当たり前になっていたところに、そんな風に言われるものだから、

奴隷であることを、否定されたかのように、私に捨てられたのではないか?と、感じたようだった。

「そんな、どうして…」

と、泣きそうになっていたこともある。

そして、さらに悪いことに、私の発言が、奴隷の、問題発言を誘発することもあったりする。

「”御主人様”、どうされたのですか?」

心配になって、高い声で、こう返してきたりする。

電車の中で、”御主人様”なんて言われると、もう、隠しようがなくなる。

せめてもの救いは、周囲に、私や奴隷の、表の知り合いが、いないことくらいだ。


私から、たまにこういう言葉が出てしまうと、奴隷も、それに反応してしまって、状況を悪くする。

これは、発端が私なので、もちろん、奴隷に非はない。

最初のころの私は、たまに、こういうことをしてしまっていた。


今思うと、私は、主従の世界のことを、強く意識しすぎていたように思う。

彼氏、彼女の関係でも、相手のことを、名前で呼び捨てすることは、普通にある。

だから、私が電車の中で、奴隷を呼ぶなら、普段通りに呼べばいいだけだ。

それで、問題ないのに、主従的なものを出してはいけないと強く思うがために、”苗字にさん付け”なんてことになったりしていた。

言葉遣いにしても、親しい間柄なら、電車で席が空いた時に、

「そこ座れ」

とか、言うのも、別に、おかしなことではない。

普通に考えると、そうなのだが、たまに、それを忘れて、上記のようなことを言ってしまって、奴隷を困惑させることがあった。


外に出ない時、ホテルなどで、SMや性処理をしたあと、時間があれば、ゆったりお茶を飲みながら過ごす時間は、とっていたし、

奴隷や、私の部屋にいるときなどは、調教をしている時間よりも、生活感のある時間のほうが、おそらく長かった。

その時も、私は御主人様ではあるのだが、調教中のように、奴隷が、何か言うことすら難しいような、厳しい雰囲気にはしていなかった。

首輪などは付けたままだし、気が向けば、性処理に使ったり、いつでも調教に移行することはあるにしても、調教中とは、少なくとも私は違っていた。

そういう、ゆったり過ごすとき、というのは、奴隷と話をする時間でもあると思っていたから、私は、奴隷のおしゃべりを止めたりもしなかった。

むしろ、私は話さないほうなので、奴隷が話してくれることは歓迎だった。

その時は、当然、奴隷と私だけだから、主従の時間ではあるのだけれど、そうやって、調教時よりも、奴隷へ向ける、S的な雰囲気を弱めている時間ではあった。

だから、たまに、そういう言葉が出てしまっていたのだろうと思う。

多かったなと思うのは、奴隷が、食事の準備などしているときだ。

何かを落とした音などがすると、やっぱり、心配になって、声をかける。

「どうした?」

と聞くときは、いい。

「大丈夫?」

なんて、言ってしまったことがある。

こうして、文字にすると、別に問題ないように見えるかもしれないが、この「大丈夫?」は、表の世界での口調で言っているので、奴隷には、かなりの違和感があったのだろう。

「大丈夫か?」

なら、まだ、良かったのだろうが…。

前にブログに書いたが、私は、奴隷に対して、「足を舐めて、ごらん」とか、「オナニーをしてみなさい」という感じで、「ごらん」「なさい」のような、上品?な口調も、使わない。

基本的に、調教時は、「~しろ」、とか、「~だろ」、とか、言い放つ感じの口調で、奴隷に接するタイプなので、

私が、「大丈夫?」なんて、優しい?口調になってしまうと、奴隷は、かなりの違和感を感じたのだと思う。

もしくは、口調自体よりも、それを言った私から発せられた雰囲気が、普段の私らしくなかったのかもしれない。

二人だけの空間で、しっかりと、主従として、過ごしているにも関わらず、こんなことを言われると、奴隷は、やはり困惑する。

むしろ、私の、この言葉のほうに驚いて、皿を落としそうなくらいに。


こういうことは、主従の経験を積むごとに少なくなっていったものではあるけれども、後のほうでも、完全になくなったわけではない。

表の世界と、裏の世界を切り替えている以上、こういうことは、ある。

それも、主従の面白いところではあるのだろうと思うのだが、奴隷の敏感さというのは、すごく、感じていた。

私の言葉一つに、奴隷は、色々なことを思う。

一喜一憂する。

そんな姿を何度も見てきた。

それを、愛おしいと思った。

でも、そのことは、しっかりとわかっていないといけない。

奴隷にとって、御主人様の言葉の持つ意味、重さを、ちゃんと考えることも、同時に大切なことだ。


そして、それは、奴隷だけではなくて、私にとっての奴隷の言葉や行動も同じ。

たまに出てくる、奴隷の驚くような言動に、いちいち反応している素振りは、意地でも、出さないように(こらえきれなくて、笑ったことなどもあったが…)していたし、

私から何かを返すことは少なかったけれど、私も、奴隷に、一喜一憂していたし、それが、奴隷と過ごす時間の中の楽しみの一つだったと思う。

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シンプルな、なんて書いて、自分でハードルを上げておいて、結局、そんなふうには書けないのだが…。


私が、このブログを始めてから、メールなどでお話しする中で、多くの方からいただくご質問が、いくつかあるのだが、その中で、かなり、難しいなと思うものが、

「主従の世界は、どんな感じなのですか?」

とか、

「主従って、こういうものなのですか?」

というもの。

これ、主従の世界を知らないM女から、聞かれることが多いと思われるかもしれないが、主従の世界に足を踏み入れた奴隷から、聞かれたことのほうが多い。

思っていたのと違う、とか、自分の主従がこれでいいのか?とか、主従になってみてから、そういう疑問を持つ奴隷が多いのだろう。

もちろん、入ったことのないM女からもいただくので、”主従関係”といっても、なかなか具体的にイメージできないものなのかもしれない。

こういう、ご質問に対して、お返事をするとき、私は、結構、考える。

理由は簡単で、私は、幸か不幸か、いろいろな主従を見てきてしまったから。

あまりにも、千差万別で、変わった人(私には、理解できないレベルに到達している人…)が多すぎるから。

だから、「これが、主従の世界ですよ」、といえるものがなかなかない。

でも、満足いただけているかどうかはわからないけれど、それなりにお返事できているような気がするのは、

お話をさせていただく、奴隷や、M女が、主従に望んているものが分かるときや、

それに近い主従を見たことがあるときなどは、少し、書けているように思えるからだ。

そんな答えに共通するものってなんだろう?と思うことはあったのだが、思うだけで、なかなか、まとまらずにいた。

ただ、全部まとまらないまでも、少しは、言えることはあるのだなということを、最近思うようになったので、エントリーにしてみる。


シンプルに、と書いたので、なるべく、シンプルに。

「御主人様の作る世界が、奴隷にとっての主従」

だと、私は思っている。

「御主人様が、いいといったら、それでいい」

でも、いいかもしれない。


そういう、世界。

世界と書くと、抽象的なので、御主人様の態度や考え方であったり、奴隷への躾の仕方であったり、調教方法であったり、やりたいと思う、性処理や、SMプレイの種類であったり、奴隷との普段の接し方であったり、連絡の取り方、話し方、等々を全部合わせたもの。

とりあえず、毎回これを書くのが大変なので、以後、”世界”と書くけれど、御主人様が、やろうとしている世界が、その二人にとっての、奴隷にとっての、主従の世界だと思えばいいと思う。

また、御主人様が、奴隷を自分の奴隷だと認めているなら、奴隷は、その世界に、しっかりと居場所がある存在だということ。

御主人様が、いいといったのだから、御主人様が、認めた場所が、ちゃんと、そこに、あるということ。


シンプルに、と言っているなら、ここで、エントリーを終わると、潔いのだろうけれど、私は、まったく潔くない人間なので、これについて、思っていることを書かずに、エントリーを終わることは、やはりできない。


まず、主従の世界というのは、御主人様ごとに違う。

躾や調教の仕方から、好むSMプレイ、奴隷との接し方、奴隷との過ごし方など、望んでいるものは、御主人様によって、まったく違う。

だから、主従の世界を、御主人様の作る世界だと言った。

これは、ある程度、分かると思う。


そして、同じ御主人様でも、必ずしも、その世界が、ずっと、不変なわけでもない。

もちろん、最初から最後まで、不変の人もいる。

もう、これ以外やらないと、決めて、経験を積もうと、奴隷が変わろうと、まったく方針を変えない人もいると思う。

でも、私は、初期のころと、いろいろな主従を見てからと、自分のしたいことがわかってからとで、かなり変わっている。

また、その時の奴隷によっても、変わっている。

奴隷によって変わるということを、認めたくない御主人様は多いと思うけれども、少なからず、奴隷に影響を受けているのは確かだと私は思う。

実際、心を寄せて、奴隷に向き合うのだから、奴隷の向けてくる心に何も反応しないということは、私はなかった。

だから、奴隷によっても、主従の世界というのは、変わってくるものだと思っている。

奴隷に影響されたと思うと、悔しい気持ちがないわけではないけれど、奴隷と一緒に楽しむこと、奴隷と幸せにやっていくために、主従になるのだから、それは正しいことだと私は思う。

私も奴隷に対して、自分が変わったとはあまり言わないけれど、でも、奴隷によって変わった自覚はある。

変わったと言っても、奴隷がしたいと思うSMプレイを、奴隷の言いなりになって、奴隷が喜ぶことだけをするようになったとか、そういうことではない。

部屋で過ごすときに、私が奴隷を見下ろす位置、奴隷が私を見上げる位置にいるようにさせるのは、今まで過ごしたどの奴隷との時でも変わらない。

プレイで言うなら、私の縛り好きも変わらない。首輪に強いこだわりがあったりするところも、同じだ。

フェチも変わらず、奴隷にスカートにパンスト姿を、なんとなく、微妙な感じで、強要する、態度も変わらない。

最近、聞くことが多いけれど、主従といいつつ、普段は、彼氏彼女のように過ごし、セックスの代わりにソフトなSMをするような考えはなく、

やはり、主従としての立場の差はいつも保つことなども、変えたことはなかった。

そして、奴隷のことを受け入れていたい、奴隷の気持ちを深く知っていたいというのは、ずっと思っている。

調教や躾、SMプレイをする時間も、当然大切に思うけれど、まずは話をする時間などをしっかりとること。奴隷を受け止めること。それは、私が望んでいることだ。

奴隷に対して、気持ちを寄せてしまうほうだから。これは、変えようがない部分なのだと思う。

でも、私の側から、連絡とかを頻繁にとることがなく、調教の時間以外に、強く迫ることもあまりない。

奴隷といても、静かに過ごすことも多い。

だから、寂しいとか、奴隷によっては、自分に興味を持たれていないのではないか?とまで思われてしまうことも、多々あったのも、変わらない。

これは私の困ったところなのだが…。

こういう、変わらないところは、たくさんあるけれども、奴隷の性格や、M性、性欲によって、調教や、躾の方法を変えるというか、自然に変わっていくというのは、今までも経験してきた。

あとは奴隷の置かれた状況なんかでも、違う。

頻繁に会えた奴隷もいたし、遠かったり、仕事などの時間が合わなかったりで、会う機会が少ない奴隷もいたから、それに関しては、また違う方法で接していた。

だから、私の、主従というのは、私が作るものではあるのだけれども、奴隷によって、また、私や奴隷が置かれた状況よって、変わるものでもあったと思う。

その変化することも含め、私の作る世界が、奴隷との主従の世界だったのだなと、思うし、どの奴隷のときでも、私が私として、作った世界に、満足していた。

それは、つまり、奴隷に満足していた、ということ。

なんで、わざわざ、こんな書き方をしているか?というと、主従の世界とは、どんなものか?という、ご質問について、答えるときに、私はこうだった、という答えを一つの例として、書くことが多いから。

私はこうなのだけれども、きっと、あなたの御主人様や、あなたが、気に入っている御主人様候補、また、候補もいないけれど、あなたが望み、思い描く世界は、私と似たところは、あるかもしれないが、別の主従の世界であると思う、ということを言いたい。

そして、これは、決まった主従の世界など、無いと言っているのとあまり変わらない。

そもそも、主従関係だからといって、これをしないといけないとか、これはしてはいけない、という決まり事などない。

二人にとって、良いことをすればいい。少なくとも、御主人様が作る世界に、異論なく、没入できるなら、そこに楽しみや、快感、幸せを感じられるなら、

それが、一般的に言われるところの、主従というものから、かけ離れていたとしても、あなたの御主人様にとっての主従であり、同時に、あなたにとっての主従でもあるのだと、胸を張っていいと思う。


もちろん、主従と言われる世界の、なんとなく、こういうものという枠組みみたいなものはある。

主従とは、こうあるべき!のようなものや、セオリーがあることも、知っている。

だから、私がしてきた、奴隷との関係を、”主従関係”である、と言って、こんなブログを書いていられる。

主従の世界というものに、なんの基準もないとは言わない。


でも、たとえ、主従世界に入りたいと思って、御主人様を見つけたとしても、その御主人様の作る世界が、心地よいなら、それが、主従の王道から外れようと、もしかしたら、主従というものの枠からはみ出していようと、

御主人様がそれで満足していて、奴隷もその世界に満足できたなら、もう、それが主従であるかどうか?という基準に当てはめて、合っているとか、合っていないとか、考える必要もないのだろうと私は思う。


ただ、こう書いているけれども、ご相談をいただく、ということは、それを気にする、M女や奴隷が聞きたいのは、こういうことではない、というのはわかる。

つまり、御主人様から提示された世界や、その中の一部が、なにか違う、違和感がある、どうしてもなじめない、嫌だ、不安だ、満たされない、と思うから、

御主人様のしていることは、本当に主従なのか?と疑問になって、誰かに相談してみようと考えるのだと思う。

私も、主従を始めたときに、たくさんの人に、相談したから、わかる。

自分がしていることが、なんかしっくりこないとき、それが、主従での、”普通”なのかどうか?がすごく気になった。

でも、しっくりこない時点で、それが主従の普通なのかどうか?なんてことは、どうでもいいことなのだと、後から気が付いた。

それが、たとえ、主従の普通であったとしても、自分に合わないなら、それは受け入れがたいことだ。

もちろん、そのことを何回も繰り返していくうちに、心地よく受け入れられるものになっていく場合もある。

SMプレイでも、最初は痛いだけで、何の快感もなかったとしても、繰り返すうちに、気持ちよく受け入れられるようになるものも、ある。

でも、違和感がいつまでもぬぐい切れないもの、どのように考えたとしても、納得できないものは、それが、主従の普通であったとしても、きっと合わないものなのだろうと思う。

プレイの例を出したが、奴隷にとって、違和感を感じることが多いのは、きっと、御主人様の対応のことのように思う。

例えば、私もそうなのだが、自分からあまり奴隷に連絡しない。とか、そういうコミュニケーションに関すること。

これは結構、よくある、奴隷の悩みかもしれない。

奴隷は、主従という世界での、御主人様とは、あまり話さないもので、それが普通なのかもしれない、と思いつつも、御主人様からなにもないと、やはり不安になる。自分でいいのか?と、悩む。

私も多分、あまり、自分から言わずに、奴隷を悩ませた側なのだと思うので、書いていて、すごく、反省しているところではあるのだが…。


少し、話がそれた。

御主人様の作る世界が、奴隷との主従の世界であるというのは、確かだと思うけれど、それが、合わないものなら、その世界に、変化をつけてもらうようにお願いすることは、できると思う。

また、御主人様の作る世界が主従の世界なのだから、主従関係を結ぶときには、やはり、望む世界が合う人を探すことが、一番重要になるのだと私は思う。

それが、”主従の普通”かどうか?という基準ではなく、”自分に合うかどうか”で、変化を願ったり、御主人様を選ぶものだと、私は思う。


そして、奴隷の側ではなく、御主人様の側からも思うことがある。

一番よく思ったのは、御主人様が、作る世界なのだから、御主人様が、それでいいと言ったなら、奴隷が、自分はダメだとか、自分では至らないだとか、勝手に決めるなということ。

頂くご相談で、これも、多かったりする。

「私では、だめなのでしょうか?」

「私は、御主人様を満足させられていない…」

と。

奴隷が、そこが心配なのはわかる。

自分が、御主人様を満足させられているのか?というのは、奴隷の最大の関心事だと言ってもいいと思う。

でも、それは、あくまでも、御主人様が決めることだ。

御主人様が、良いというならそれでいい。

奴隷と作る世界に満足しているのであれば、それで、まったく問題はない。

御主人様が、奴隷と作っている世界が、いいと思っているということは、その世界の中で飼われている奴隷も、それでいいと思っているということ。

奴隷が、本当に今の自分でいいのだろうか?と、考え、もっと良いものを目指す、というポジティブな意味合いなら、まだいいけれども、

御主人様が、いいというのに、奴隷が、勝手に、自分ではダメだと、悩むことではないと私は思う。

私も、自分の奴隷に、

「勝手に、奴隷失格だとか、言うなよ。お前の価値を決められるのは、お前ではなく、俺だけだ」

と言ったことが、何回もある。私が認めた奴隷なのだから。私が良ければ、それでいい。

そう思う。


シンプルにと言いつつ、やっぱり、長々、書いてしまった。

主従の世界とは、どういうものか?ということで、なんとなく、こんな感じの枠、というものも、セオリーも、あるのはわかるけれど、

結局のところ、それぞれの御主人様が作る世界であり、奴隷の影響を受ける御主人様なのであれば、御主人様と奴隷で作るものが、その二人にとっての主従世界だ。

それが、主従の世界の普通なのか?を気にすることよりも、自分にとって心地よく居られる場所なのか? 望む場所なのか?のほうが、重要だと私は思う。


私なんかが、良い例だ。

パンストフェチの私を満足させるために、いつも、そんな恰好で居続けるように仕向けられていた(というよりも、仕方ない御主人様だなぁ…と苦笑いして、きっと、呆れて履いてくれていた)、私の奴隷たちが、それを”主従の普通”だとは、絶対に、思っていなかったと、私は思う。

それでも、奴隷が、私の世界にいてくれたのは、私が作る世界を、少なくとも、嫌ではないと思って、主従の世界だと認めてくれていたからだったと思う。

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奴隷は、甘えるのが、下手な気がする。

ノーマルな女が、その彼氏に、どのくらい甘えるものなのか?を、私はあまり知らないから、比較することはできないが、

奴隷というのは、その立場からなのか、そもそもの性格からなのか、M性が、甘えるよりも、自分が尽くすことを選ばせるからなのか、わからないけれど、甘えるのが下手だなと思うことが多かった気がする。

私がここでいう、甘えるのが下手、というのは、相手に、少しでも、迷惑かもしれないと思える事柄を言えない、頼めない、また、そういうことを考えることすらよくないと思ってしまうことを、主に指している。

簡単に言えば、

「御主人様に迷惑をかけたくない」という、奴隷の気持ちから、生まれてくる、数々の遠慮のことを、甘えるのが下手だなと思う、ということ。


私の奴隷も、私と会っているときだったり、電話やメールなどで、多分普段は使わないような、甘えた声や、言葉を使っていたであろうし、私の前では、私の前でだけ見せる態度で過ごしていたと思う。

そういうことはしていたし、それを出していいのだと、奴隷が思ってくれたのは、うれしいことだった。

ここで言う、甘えるのが下手というのは、そういうことについてではなくて、私に対して、迷惑をかけないように、自分を必要以上に押さえてしまうこと、

そして、それがさらにエスカレートして、迷惑をかけたと感じだとき、自分は御主人様の元に居場所がないのではないか?とまで思ってしまうこと。


迷惑をかけたくないという気持ちを持つこと自体は、別に悪いことではない。

相手のことを考え、配慮するのは、主従に限らず、誰かと関係を作るときに、必ず必要なことだし、相手への特別な思いがあるなら、余計に大きく出てくる気持ちの一つでもあると思う。

これは主従に限ったことではないだろう。

また、奴隷は、御主人様に奉仕するとか、御主人様の快適のためにとか、そういうことが、存在意義であり、

自分が、御主人様に飼ってもらえている理由と思っていることがあるから、

それに照らし合わせると、御主人様に甘えることが、”良くないこと”になる場合が多いのかもしれないと思う。


でも、私は、奴隷が望んでいたことを迷惑だと思ったことは、それほどない。

全くないわけではないが、それも迷惑というよりは、困ったなと思うこと。

例えば、私は、奴隷と手をつないで、外を歩くようなことは、照れくさいのであまりできない。

でも、奴隷がそうしたがったことは、結構ある。

そういうときは、迷惑だとまでは思わないし、そうしたいと思う奴隷の気持ちはうれしいのだが、やっぱり、恥ずかしさとの狭間で、困っていたりする。

迷惑とまでは思わないけれど、こういうことは、結構あるなと思うのだが、それ以外に、奴隷に迷惑をかけられたと、思ったことはなかった。


いつもは、待ち合わせに、遅れることなどなかった奴隷が、たまたま、約束の時間を間違えて覚えていて、待ち合わせになかなか現れなかったことなんかもあった。

その時は、もちろん、調教の場で、かなり厳しい、罰を与えた。

罰を与えつつも、私は、そんな奴隷を迷惑だとは思わなかった。

時間を間違えることなど、誰でもあるし、それを許すことなんて、普通だと思う。

むしろ、普段、遅れることのない奴隷が、遅れてきたことで、道中、何かあったのか?と心配していたくらいだ。

これが、平気で、毎回約束をすっぽかすなら、話は別だが、そうではない奴隷に、腹を立てたことはなかった。

でも、その時の奴隷は、私にとてつもなく大きな迷惑をかけたのだと、思っていたから、泣きながら謝り、捨てないでほしいと懇願した。

奴隷が、そういう思考をする傾向があるものだというのもわかっている。

でも、同時に、私は、そんな奴隷の姿をみながら、もう少し甘えてくれればいいのにな、とも思っていた。

迷惑など、いくらでも、かけてくれてよかった。そもそも、奴隷のすることや、できないことなんかを、迷惑だとは思わないのだから。

迷惑をかけても、自然に許しあえるのが、深い関係なのだろうとも思う。

でも、それがなかなかできないのが、奴隷でもあるのだけれども…。

だからこそ、そのあとにホテルに入っての調教の時、いつもよりも、たくさん鞭をふるい、痛めつけ、私を待たせたことについて、何度も、土下座をさせて、厳しく罰を与えた。

そうすることで、奴隷が自分を許せるようになるのだろうと思った。

おそらく、そういうときに、ちゃんと罰を与えず、流してしまったなら、多分、奴隷は、そのことを、ずっと考えたのだろうと私は思う。


少し話がそれたが、普通の男女関係なら、こういうことがあっても、顔を合わせたときに、

「時間、間違えてた、ごめん」

の一言で、済むのだろうと思う。

今なら、会う前に、LINEでも送って、話が済んでいるくらいのことかもしれない。

甘えられるからこれで済む。

遠慮しないで、こう言える。

待ち合わせの時間を間違えていて、一度や二度、遅刻しただけで、別れるということには、ならないと、自然に思えているのだと思う。

でも、奴隷の場合には、それがなかなかできない。

もちろん、誰でも携帯を持っている今なら、遅れる連絡はするのだろうが、それでも遅れたこと、もっと言えば、自分が間違えてしまったことで、御主人様を待たせる結果になったことを、ものすごく気にしながら、待ち合わせ場所に急ぐのだろうと思う。

もちろん、ノーマルな男女で、それを気にしないとは思わないけれど、やはり、奴隷は、そこで、御主人様に対して、自分が許されないことをしているという意識を強く持っているのだと思う。


それに、まだ、これは会えている。

会う約束をしていても、その日になって、キャンセルすることだってある。

生理が重かったり、体調が悪かったりして、予定していた日に、会えないことなんかは、主従でも起こることだ。

それに対して、私が目くじらを立てることなどないのだが、甘えることが下手な奴隷にしてみると、自分を使ってもらえないなら、自分に価値がないと思ってしまう。

体調が悪い時くらい、甘えればいいのにと、私は思う。

私にとっての奴隷の価値というのは、体だけではないのだから。

奴隷の体を、使えなかったから、その奴隷に価値がないとか、そんなことを思ったことなどなかった。

生理だとか、体調だとか、他にも、突然の仕事や、家族とのことだとか、会えなくなる事情なんて、いくらでもある。

そういう、どうしようもないことがあるなら、それを言って、堂々とキャンセルすればいい。

もちろん、それについても、キャンセルした事情が片付いたなら、調教の時に、

「お前、この間、使えなかったからな」

なんて、ものすごく、理不尽ではあるが、そういう理由で、きつく罰を与える。

それでいい。それが、主従では、「時間、間違えてた、ごめん」と、同じことだと思ってもいい。

また、他にもどうしようもないこと、は、たくさんある。

奴隷が気にしていたことはいくつもあるが、容姿なんかもそうだ。

顔がもっと可愛かったらとか、もっと背が高(低)かったらとか、肌にあざがある、傷跡がある、さらには、性器がもっとピンク色だったら…。

なんて、もう、どうにもならないことは、いくらでもある。

私に受け入れてくれと言えばいいし、それはもう、奴隷の体を見た段階で、私は知っていることだ。

それを見ても、奴隷として、飼っている時点で、奴隷の体は、もう、私に受け入れられているものであることを、わかってほしかった。

容姿のことは私もコンプレックスがあるから、奴隷の気持ちがわからないわけではないのだが…。

こんな自分には、奴隷としての価値がないとか、奴隷が私に甘えられず、遠慮して、そう思ってしまうことが、私はすごく寂しかった。

甘えてほしかった。

奴隷を、私が、飼っている以上、すべて、そのままに認めていることをわかって、安心して、私の足元に居場所があると思っていてほしかった。

そこは自分の場所だと、遠慮なく、主張してほしかった。


主従という、奴隷が、甘えにくい状況に居ることは十分に分かっている。

奴隷が、御主人様に迷惑をかけることだとか、自分が、役に立てないことだとか、そういうことを、とても気にするのも、わかっている。

でも、私は、それを含めて、受け止めるつもりでいるから、奴隷の御主人様をやっていた。

迷惑なんて、かけてもいいと思うし、たくさん甘えればいいし、遠慮する必要もない。

私が、私の奴隷として、認めた存在なのだから。

御主人様に満足してもらえないような自分には価値がない、だから御主人様のそばにいることもよくない。なんてことまで言った奴隷もいた。

そんなことを言われると、すごく悲しいと同時に、ものすごく、腹が立った。

「俺が選んだのだから、勝手なことを言うな!」と。

奴隷との間で、こういうことを感じるような出来事があるたびに思っていたことだ。

そもそも、奴隷を、迷惑だと思うなら、御主人様などやらない。それだけの覚悟はある。


でも、甘えるのことが下手だから、可愛くないとか、素直じゃないとか、そういうことを、奴隷に対して思ったこともない。

奴隷というのが、程度の差はあれ、甘え下手であることも、私はわかるようになったから。

奴隷の奴隷らしい、不器用なところは、愛おしくさえ思った。


それでも、やっぱり、奴隷には、私に対して、遠慮をしないでほしいと思った。

私の奴隷にした以上、そのままの奴隷を私が認めていること、わかってほしいと思った。

でも、奴隷は、

「そうは言っても…」

と言う。

ここは主従という深い関係になっても、というか、主従であるがゆえに、立場の違いから、なかなか、分かり合えないところなのかもしれない。

ただ、主従関係で、御主人様が、こう思っていることは、なかなか伝わらないものだと思うから、

これは、何か機会があるなら、そのときに、しっかりと、奴隷に伝えたほうが良いことの一つだろうと、私は思う。

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今回は、気軽な話。私の失敗?談。


私は、奴隷の後頭部を踏むことが多い。

つまり、土下座をさせて、その頭を踏んで、床に、奴隷の顔をぐりぐりと押し付ける。そういう踏み方。

これが多い理由は、奴隷の後頭部ではなく、顔を踏んで、奴隷の顔が歪むのを見るのが、それほど好きではないからだ。

苦痛などを与えたときに、奴隷が自ら表情をゆがませているのを見るのは好きなのだが、奴隷の顔を、外力で変形させたり、隠したりすることに、楽しみをあまり感じない。

だから、鼻フックとか、ボールギャグ、全頭マスクなんかも、あまり使わないし、顔面緊縛だとか、顔に洗濯ばさみだとか、落書きとか、そういう調教も、ほとんどしない。

アイマスクは、奴隷の視界をふさぐために使うことはあったが、それも、ずっとつけさせていることはまずなかった。

栓がついた開口具は、その発想が、面白いとは思ったから結構好きなのだが、やっぱり、実際にはそれほど使ったわけではない。

とにかく、奴隷の顔を見るときには、そのままに見ていたいというのが、私の欲求の一つとして、ある。

そういう風に思うから、奴隷を踏むときは、後頭部が多くなっていたのだと思う。

土下座ではなく、奴隷を床に転がした状態で踏むときも、顔を正面から踏むことは、まずなくて、横顔を踏むことが多かったなと思う。

また、そういうときは、奴隷に足をなめさせたり、頭ではなく、性器を、踏んだり、足でいじったりすることのほうが多かった。

これは、私の調教の好みの話。


こんな私が、踏み方を考えさせられたことがあった。

奴隷と、出かけたとき、和室のホテルに泊まった。

和室というのは、普段と違う雰囲気があって、私は好きだ。温泉旅館などに、出かけたこともある。

風呂のお湯も、熱いのが苦手なので、熱い温泉でゆったりという気持ちではないのだが、日本的な感じとか、奴隷が浴衣を着ていることなんかも好きだった。

そういう、和室でも、やることは変わらず、調教の時の挨拶で、土下座した奴隷の頭を踏んだときのこと。

私が頭から、足をよけて、

「顔を上げろ」

と、命じても、奴隷が土下座したまま、動かなかった。

さらに、

「顔を上げろ」

と、何度か命じても、一向に、上げる気配がない。

さすがに心配になる。

間違ったところを踏んでしまったのか?、それとも、強すぎたのか?と。

でも、私は、奴隷の顔を畳に押し付けてはいるけれども、何度も踏んでいるから、踏み加減がわからないわけではない。

当然、全体重をかけて、踏んだりはしていない。

奴隷が、具合が悪くなるようなことは、していないと思ったのだが、それでも、やはり心配になる。

「どうした?」

と、聞いたのだが、その時点で、私はすでに焦っている。

奴隷に怪我をさせたのではないか?と。

やっぱり、奴隷が起き上がらない。

本気で、奴隷の体が気になった。

なので、とにかく、奴隷の顔を見ようと肩に手をかけたのだが、それでも、奴隷は起き上がらなかった。というか、動かなかった。

かたくなに、土下座の姿勢を崩さない。

奴隷は、起き上がれないのではなく、起き上がるのを拒否していた…。

そして、私は困惑する。

「おい、何している?」

そういった私に、奴隷が、

「このまま、帰るまで、下を向いています…」

と言った。しかも、声が涙声だった。

何を言い出すのか?と思った。

「何を言っている?起きろ」

そこまで言っても、奴隷は、土下座のまま…。

私も、どうしようか?と、うなった。

なぜ、奴隷が、こんなことになっているのか?

本当に分からなかった。

そして、そのまま、しばらくの沈黙。

そのあとに、奴隷が小さい声で言った。

「御主人様が、笑うから…」

と。

「ん?」

そこまで聞いて、やっと奴隷が顔を上げない理由が分かったのだった。


その調教の前、部屋に着いたとき、最初に奴隷が挨拶をして、その時にも頭を踏んだ。

私は、顔を上げた奴隷のおでこに、思いっきり、畳の跡がついているのを見て、つい、素で、プッと吹き出してしまったのだった。

それを見た奴隷が、急いで、おでこを手で隠すのを見て、また私は笑った。

そんなこと、私は気にせずにいたのだが、奴隷の中では、相当に恥ずかしいことだったらしい。

私の前で、裸になることよりも、快感や苦痛の表情を見せたり、喘ぎ声をあげることよりも、おでこの畳の跡のほうが、奴隷にとっては、恥ずかしいことなのだった。

「お前、気にするのは、そっちか…」

その感覚には、ちょっと驚き、そして、奴隷らしいなと、感心してしまった。

そんな奴隷が、面白くて、それと、奴隷に怪我をさせたのではないか?という心配が消えて、私は、また笑ってしまった…。

本当に、学習しない男だ。

そんな私の笑い声を聞いて奴隷は泣き、結局、奴隷が頭を上げたのは、それから、かなりしばらくしてからだった。

その間、私は、何の調教もできず、というよりも、半分笑って、半分困って、一時的に、S性や性欲じゃない何かにとりつかれて、

俺、何してるんだろう…

という思いだけが、頭を支配していた。

それはそれで、面白い時間だったけれども、奴隷の頭を踏んでいたはずの私が、奴隷に感心してしまった時点で、奴隷に一本取られているのだった。

ちょっと悔しい。

でも、そのことは、奴隷には言えなかった。


一生のうちで、誰かの頭を踏みつける機会など、普通はないと思うし、逆に、踏まれる機会もないと思うけれども、

私は、おそらく、ノーマルな人では考えられないくらいに、奴隷の頭を何回も踏んでいる。

主従であり、御主人様側だから、やれたこと。

そして、そういう関係なのであれば、奴隷の頭を踏むことで、支配欲を満たされていると思われるかと思うけれども、たまに、こんな気持ちで、踏んでいたこともあったりする。

頭を踏むこと一つでも、いろいろなことが起こる。

奴隷の気持ちや、女の気持ちというのは、私には、なかなか、理解できないところもある、難しいものだが、それでも、そういう奴隷を理解していくことは、すごく楽しいことだ。

本当に、奴隷に教えられたことは多いなと思う。

テーマ:SM・拷問・調教・凌辱  - ジャンル:アダルト



前回前々回のエントリーは、主従の世界の話として、御主人様の話としては、あまり口に出されないことであり、御主人様というもののイメージを壊しそうなものだったと思う。

私のブログは、最初からそうではあるが…。

それに、すごく久しぶりのエントリーになってしまった。

にも関わらず、結構な方に反響をいただいて、驚いている。


相変わらず、お返事が、あまりできていなくて、申し訳ないのだが、メールを読ませていただきつつ、こういうときの、精神状態について、考えていたら、

そもそも、御主人様や、S男が、何に興奮しているのか?ということを、つらつらと思ったので、今回はその話。


といっても、主に私のこと。

これまでに見てきた、他の御主人様のことにも触れてはいるけれども、他人である以上、本当に興奮しているのか?というのは、よくわからないし、

他の男が何に興奮するか?というのは、それほと考えたいことでもないので、そういう風に見えたときのこと、として、少し書いてある。



私が、興奮するときというのは、その状況によるな、ということを思う。

激しいSMプレイをすれば、それに比例して興奮も大きくなるのか?というと、そんなに単純でもなかったなと。


例えば、奴隷を、きっちりと縛って、性処理に使うような、SMプレイ。

奴隷の穴を使いながら、鞭などで打ったり、口でさせているなら、頭を押さえて、喉奥に入れ、えづくようにさせたり、それで、苦しむ奴隷の姿というのは、ある程度、大きめの刺激ではあると思う。

このくらいなら、本当に激しいプレイとは言えないと思うけれども、私がそれなりに多くやったことでもあるので、SMプレイの一つとして、挙げてみるなら、こんな感じかと思う。


それと比較のためにもう一つ。

私が、寝転がっていたり、椅子に座っていたりする。その前に、奴隷がいて、私の性器を、ただ、咥えさせておくようなこと。

これは、プレイというよりも、奴隷との過ごし方の一つとして、普通にやっていたことだから、上の例よりも、かなり静かなことと言えるだろう。


でも、この二つ、どちらが、興奮するのか?

と、もし聞かれたとして、私は、選べないなと思った。

そう思ったので、プレイの激しさと、そのときの興奮度というのは、私の体感としては、比例しない。といえると思う。


どちらにしても、まったく興奮しないという意味ではなく、それをしている時点で、当然、心地よいし、やりたいからしている、させたいから奴隷にさせていることだから、快感がないというわけではない。

どちらも、とても楽しんでいた。気持ちよかった。

それは間違いない。

でも、それで、性的に強く興奮する、もしくはS性という意味で満足するまで、興奮するかどうかは、その時によって違ったなと思う。

もう少し言えば、これで、一通り、やりたいと思うことをしたとして、興奮していること、快感が大きいこと、また奴隷を使った後の、満足感があること、は確かなのだが、その時によって、その度合いは違っている。

緊縛して、性処理に使って、射精することはもちろんあったけれども、それで射精しないこともあった。

それは、前にもブログに書いたことがあるが、私は、S性が満たされたら射精しなくてもいい場合もあるので、そういう状況だったこともある。

でも、そういうS的な満足を得ていない状態で、ものすごく気持ちよく射精したこともあれば、途中で、もういいかなと思ってやめたこともある。

だから、同じように始めたとしても、興奮の度合いというのは、やはり違ってくる。不思議なものだなと思う。

何が要因なのか?というのは、はっきりとは、わからない。

その時の雰囲気だったり、お互いの疲れ具合だったり、奴隷の様子だったり、私自身の心の動きであったり、その前に食事をして、満腹だったりとか、そういうこともあるのかもしれない。

要因はわからないが、何かが、そのとき、そのときで、違ったから、興奮する度合いも違って、結果も変わったのだろうと思う。

ただ、少なくとも、奴隷が、不真面目だったとか、そういうことではない。もしも、不真面目だと感じたなら、その時点で、私はどんな行為もやめていると思うし、そのことについて、叱責していたと思う。


二つ目の例も同じで、私が、ただ寝転がって、とか、椅子に座って、奴隷にフェラチオをさせていたような、

SMプレイとも、性処理とも言えないくらいの、なにげない行為の時でも、そのまま寝てしまったこともあれば、とても興奮して、射精するに至ったこともある。

これは、性器への刺激と、私が何もしないのに、奴隷がひたすらに奉仕するという状況が、興奮を呼ぶ要素だったのだろうと思うのだが、それも、いつも同じ結果にはなっていない。

この二つの例を比べてみて、どちらが、より興奮したか?とか、どちらが、途中でそろそろいいかなと思ったか?というのは、確実には決められない気がしている。

もちろん、一つ目の例は、積極的に、私が動いているときで、二つ目の例は、私が動かずに、奴隷にさせているときだから、射精する割合ということで言えば、きっと上のほうが多いと思う。

でも、興奮の度合いという意味だと、優劣をつけがたい。

だから、している行為自体よりも、その時の、体や心の状態のほうが、影響している気はする。

と、こんな風に、私はその時その時で、興奮の度合いはかなり差があったように思う。


以前、ブログに書いた、スワッピングの時のことを思い出してみても、思うことはある。

私は、あの状況になかなか、なじめなかった。

他の人の奴隷を使ったし、それで性処理もしたから、興奮したなかったか?といわれれば、そうではない。

プレイの激しさという意味でも、おそらく、私と奴隷だけでするときよりも、強いものが多かったと思う。

それでも、私は、なじめなかった。

やっぱり、私の奴隷とだけ過ごす時間のほうが、興奮するかしないか?すらも自由にできた気がするから、きっとそのほうがあっているのだろうと思う。


でも、あの場所にいたほかの人たちを思い出してみると、興奮しすぎて、おかしくなってしまうのではないか?と思えるくらいに、その場を楽しんでいた人はいた。

その場の雰囲気に没入していて、奴隷で性処理をしたうえで、さらに、自分でもしてしまうくらいになっている人も見たことがある。

また、私と同じように、奴隷を使い、また皆でやる、普段はできないような激しいプレイなどに参加しているけれども、それほど興奮していないように見える人もいだ。

もちろん、そう見えているだけで、誰がどこまで興奮していたのか?は私にはわからない。

でも、やはり、やっていることの激しさと、興奮の度合いというのは、関連していないとは言わないが、必ずしも、いつも同じように、興奮するものでもないと思う。



ただ、この興奮の度合いが、その時、その場合によって違うために、困ることもある。

奴隷が、これをすごく気にすることが多いということ。

私は、したいことをしているし、奴隷にさせたいことをさせているから、満足しているのだけれども、

奴隷は、私の興奮が大きいか、小さいか?は感じられるし、一番わかりやすいこととして、私が射精するかどうか?は、かなり気になっていたのだろうと思う。

私が興奮しているように見えなかった時、その日、帰宅する前の奴隷に、

「今日は、私と会ってもつまらなかったでしょうか…」

というようなことを、聞かれたことがある。

言い方は違えど、すべての奴隷に言われた言葉かもしれない。


私にしてみると、そんなことはなくて、しっかりと満足していた。

もっと言えば、SMプレイも、簡単なフェラチオなどすらもしなくて、奴隷と話をする、食事をするだけでも、私は楽しかった。

奴隷と一緒にいるだけで、私は、普段の私ではなく、興奮していたのは確かで、自分の中のテンションは、すごく高かった。

それをベースにして、さらに、どのくらい興奮したのか?ということなのであって、奴隷を前にして、何も思わないとか、会うことがつまらないとか、そういうことは、私はないので、そういう意味の話ではない。

でも、奴隷にはそのことが、うまく伝わらなかったなというのは、思う。

また、私は、射精に至らなければ、「お前は下手だな」とか、「使えないやつだな」とか、そういうことを、奴隷に言ったりもした。

それは、SMの行為の中、調教としての言葉ではあったけれども、奴隷にとっては、自分が、至らないという気持ちを大きくさせたことでもあったのだろうと思う。

私は、言ったことを後悔しているわけではないけれども、SM行為での、そういう定番の言葉というのも、使い方、というか、伝え方が、難しいものだなと思う。

私は、会うこととか、会えない時には、電話やメールなどで、つながっていることだけでも、自分の裏の世界のことを隠す必要のない、唯一の存在であり、

私のSやフェチの部分まで含めて、理解している相手であるということだけで、興奮していたのだけれども、そういうことは、奴隷には、なかなか分かってもらえなかったなと思う。

私も、それをうまく言えなかったし、他の何かの方法で伝えることができなかったのが、大きな要因ではあるけれども。


と、興奮の度合いの話をしていたのに、少し話がずれたが、興奮の仕方というのは、本当にその時によって違う。

だから、御主人様の反応がいつもと違うときが、あったとしても、それが、自分のせいだと、奴隷が、自己嫌悪に陥るのは、ちょっと早いかなと思う。

奴隷もいつも同じではないように、御主人様も、いつも同じではないから。

それを、わかっていると、奴隷も、少し余裕をもって、御主人様に対して、いられるのかもしれないと思う。

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このブログについて

著者:vet

 ※このブログには、エロ動画やエロ画像、官能小説のようなものは一切無いが、内容が内容なので、SMや主従関係という、恋愛の形に不快感を覚える人、違う世界の話だと思う人などはすぐにブラウザを閉じて、このブログのことは忘れるように。

 以前に飼っていた牝奴隷とのことを書いているブログ。奴隷を手放した経緯とか、過去の奴隷の話、そのときの気持ち、奴隷への想い、今だから考えられること、言えること。書きたいことを書きたいままに綴る。
 また、今、これを書いている私の現状について、ご質問を頂くことが結構あるので、それについては、
 ◆私について
というカテゴリの中に、”現状の私”というエントリーにして書いておいた。このカテゴリには、私自身のこと(私の好みや、調教の方針など)をメインに書いているエントリーを入れてあるので、興味のある方がいるかどうかは分らないが、もしも気になるなら、見ていただければと思う。

 SM話はストイックになりがちなので、多少軽いタッチのコラムも交えて書いてみようと思う。奴隷を飼っていない今だから書ける御主人様の本音などをできるだけわかりやすく、そして正直に。今、奴隷になっている牝や、御主人様を探しているM女なんかには、御主人様の側の気持ちが少しは分かってもらえるかもしれない。ちなみに、私は理系的な思考傾向なので、考えすぎることが多く、そのために、なにやらややこしいことになることも多々ある。そのあたりも笑って読んでもらえれば、幸い。

 メールやコメントなども楽しみにしている。気軽な恋愛話、気楽なSM話から、SMや主従関係のこと、Mであることなどについての悩みや、相談、質問など、真面目なお話まで、どんなことでも、しっかり伺おうと思っている。恥ずかしいとか、こんなことを言っては変に思われるのではないか?とか、考えることもあるかも知れないが、私は、それなりに長くSMや主従関係の世界に居たので、それほど驚くことは無いと思うし、他人と変わっていることでも、変だとは思わないできちんと伺うつもりなので、メールやコメントは、遠慮せずに送ってくださればと思う。

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